ブログランキング
眠っている暇はない|先駆者の目覚め もしくは幼年期の終わり①

先駆者の目覚め もしくは幼年期の終わり①

2010.10.01 17:57|00感想
今更ながら見てきました!
A Wakening of the Trailblazer


途中、要するに終わる20分前くらいは傑作でした。
ラストの20分くらいは、どう扱っていいかわからない
一言で言えば「好き」です。でも、劇場作品としてはどうなんだろう…。ポカーンとエンドロールを眺めていたのが忘れられません。


昨今の風潮が「頭空っぽにして見られる」作品ばかりだから、今回の映画が受けなくてもまあ納得かなと思います(見返して「こういう意味があったのね!」という作品はありますが)。
今回みたいに結末やオチが演出でしか表されていない作品は久しぶり。ふと、映画版ウテナを思い出しました。

自分の場合、牛のように何度も反芻して、ことあるごとに考えて、ようやく納得がいきました。
決して、意味がわからない映画ではない。答えは用意されているから。
TV版を見れば胸にすとんと落ちてくる、そんな、00の最期を飾るにふさわしい映画でした。




作品というのは得てしてスタッフのオ○ニーになりがちだと思います。アニメだけじゃなく、人が作ったものはなんでも。
他人に見せる以上、理解させなくちゃいけない。できるようにレベルを調節する必要がある。理解させなくても、なんでもいいから他人を魅きつける見どころを用意しなくちゃいけない。納得させる落とし所を作らなくてはいけない。
今回の劇場版で、00はそれができていた。少なくとも、そう感じられた。
見に行ってよかったと思えて、よかったです。



まずは、刹那とマリナと「対話による理解」の感想から。
思い出すと泣きそうになる。
人類の相互理解って言うと、どうしても人類補完計画が頭をよぎるんですよね…。


TV版の「人と人はわかり合うことが出来る」は、いまいち納得がいかなかった。
でも、劇場版の「対話」は、戸惑いはしたけれど受け入れることが出来た。
平和と命の象徴である花は切っ掛けにすぎなくて、わかりあう為にはその人にならなくてはいけないこと、70年くらいかかったこと。

刹那が「生きている意味を見つけ」た時、これが00だったのだと思いました。
人と人が分かり合えることが大きなテーマだけど、物語の軸になったのは、刹那の成長物語だった。
幸せになってほしいと、普通の生活を望んできた自分にとっては、あまりにも辛い成長ではありますが…。



   刹那
「生きている意味を見つけた」
生きようと必死にもがく事を諦めた青年。他人の命の重みを知っているけど、自分の命の重さを知らない少年。
それはきっと変わらないままで。
彼は、自分がエレス化したことでたくさんの人が嘆き悲しんだことを知らない。

「どんどんシンプルになって」いって、いろんな欲も執着も肉体すら失くしてしまった刹那を見た時は、ものすごく悲しかったです。今も悲しい。

でも、武力を用いてしか対話が出来なかった刹那が、純粋に「わかり合う」ことが出来たから、そのために今までの人生があったと思えたから、よかったのかな。

70年かけて、80年かけて、何を考えて、マリナ姫の所へ向かったのだろう。
ずっとすれ違って、間違いを重ねて、長い時間をかけてようやく、手を取り合うことが出来た。
ラストシーンの意味を考えているだけでお腹いっぱいになります。



   刹那とマリナ
マリナ姫が老い先短いこと、刹那はたくさんの愛おしい人を見送らなくてはいけないこと、そんなのは、2人にとって問題ではないと思う。
2人に、物理的な問題は存在しないから。
せっちゃんに関しては前述したとおり、余計なものを排除した思考は人類を愛し救済することだけに向かっている。
刹那の大きな愛は、失う悲しみに根づいている。命が永遠でないことを知りながら、人を愛し、助ける。
刹那の愛は平等で、非の打ち所がない。
それを受け止められるのがマリナ姫です。

上手く言えないのだけど、2人には「一緒に過ごす時間」ではなく「わかりあう」ことが重要なんだと思います。
精神的なつながり。私があなたを愛し、あなたが私を愛しているという事実だけでいい。


   マリナ
マリナ姫はあくまで姫様だった。
せっちゃんの懺悔のような自己犠牲とは違う、他人の幸せのために自分を投げ出す行為。
それは彼女に付加された価値を正確に理解しているから出来ること。
TV版は行動が伴っていなかったから「脳内お花畑」っぽかったんじゃないかな―。

TV版を思い出しても、彼女はずっと雲の上の人であり続けていました。
与えられた役割をこなす。余裕がないと、混乱してしまうともう駄目な、お嬢様(酷)。
TV版はお金がなかったりアザディスタンがなかったりして、彼女は皇女になりきれなかった。だから焦って変な行動とって失敗していたのかなーと。
年を重ねたせいもあるかもしれないけど、劇場版のマリナは完全に皇女そのものでした。
全ての人を救いたいと願い、持てるすべての力を持って立ち回り、最後まで民を見守り続けた。


ラストに出てきた写真には相当驚きました。
結婚して子供~孫までいましたね。最初シーリンのかと思ったよ。

結局、マリナ姫の愛も大き過ぎた
彼女は皇女だからいずれ結婚しなくてはいけない、国を存続させるために。
マリナ姫はそれに対してなんの疑問も持たなかったと思います。生まれながらの皇女だから。
夫も子供も孫も、国民が自慢できるくらい心から愛したことでしょう。

刹マリ派かつ純愛派としては、「じゃあせっちゃんは?」と苦悩したわけですが…。
愛の形が違うんです。きっと。
言葉遊びみたいだけど、恋愛と、愛おしさと、幸せを願う愛情は全部違う。
マリナは刹那を好きだったというより、想っていたのでしょう。これ以上傷つかないようにと、幸せになってほしいと、いつかわかりあえますようにと。
マリナも刹那も恋愛が出来るような人ではないから…でも、夫や子供のことは心底愛おしく思っていたんじゃないかなと思います。
公私混同なんか絶対しないもの、マリナ様は。

ラストのマリナ姫は、夫に先立たれてしまったけど、子供や孫は仕事の合間に遊びに来てくれる、そんな幸せなおばあちゃんだったんじゃないかと想像してます。



   わかりあうということ
他人の全てを受け入れること、他人の思考を全て把握すること、他人と一つになること、それを「わかり合う」とは言わないとは思う。
「わたしと一つになりたくない?それはとてもとても気持ちの良いことなのよ」は、「それじゃ何のためにおれたちは一人で生まれたのかわからないじゃないか!!」(byグリーンウッド)と相互関係にある。
個として生まれてきたのは、人類は未完成だからかもしれない。一つになったら、個の意味がなにもなくなってしまうけど、傷つくことはない。
そんな不毛なやり取りを、花一つで解決したのが刹那なのかもしれない。まさに彼しか出来なかった方法。



   花
S2の最後のエンディングは、花に覆われたオーライザーを見て刹那が微笑むシーンで終わります。
ガンダムがボロボロになって、物語の中核が展開し、愛し合うジャケットだけが映されて、最後に花が咲く。
「もう戦わなくていい」と、兵器であるガンダムが告げる。
そんな意味がこもっていると思っていました。
でも、微妙に違ったかも。

あのあともきっと、刹那は戦い続けるでしょう。
進化したイノベーターが40%を占めている今、コーディネーターVSナチュラルが起こらないわけがない。紛争や諍いが消えるはずがない。
だからCBもメンバーは違っても確実に存続し続けているはずです。地球平和のため、外宇宙進出のため。

でも、もう武器は持たなくていい。
刹那はすでに、人と人が分かり合う道を見つけたのだから。
人を傷つけるだけが、戦いじゃない。

黄色い花は、命と平和の象徴でした。





続きは後日。今度こそはキャラ萌えするぞ!

テーマ:機動戦士ガンダムOO
ジャンル:アニメ・コミック

Comment

非公開コメント

| 2017.06 |
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
プロフィール

かにのめカナメ

Author:かにのめカナメ
自称腐女子が運営しておりますのでお気をつけください。
ジャンルはその時ハマっているもの。

拍手ください!!!(直球)

役に立たないソシャゲのID
デレマス:91514643 /デレステ:296046959(名刺は746a784e61) サイマス:10620

最近の記事

カテゴリー

FC2カウンター

情報源

ブログ内検索

リンク

『眠っている暇はない』
ここ。リンクフリー。

banner.jpeg


『照柿色の夢の中』
小説等々移転先。GENOの心配はないようです。

banner
携帯変換
QR


『神の火を抱いてマークスの山へ翔べ』
旅、カレー、映画、美術館などなど
※ノーバナー

ページトップへ